大学院生の考えごと-日本語教育とタイの世界-

大学院博士後期課程在学中であり、タイ在住の日本語教師による考え事ブログ。

”はっきり”話すこと

サワディーカー。ちぇるです。

 

わたしは、自分の長所でもあり短所でもある、「声の明瞭さ」が最近気にかかっています。

日本語教師として、私の声の明瞭さは、長所だとずっと捉えてきました。

幼い頃からはきはき話すタイプでしたし、

日本語学習者と接するようになってからは、

「先生の授業での日本語は聞きやすい」だとか「先生の話している日本語はわかる」だとか言ってもらえて、

よくもわるくも、これでいい、と思っていました。

(学生の、「先生の日本語はわかるけど、他の日本人の日本語はわからない問題」に関しては稿を改めよう。笑)

 

ただ、先日、同僚のタイ人講師にこんなことを言われました。

「会議で話している時、日本語がきつく聞こえるよ」

その講師は、日本語が上手なので、私のぼやかさない話し方や、

しゃきっと話しながら、文の一番最後まで話す言い方が、全て理解できるからこう言われたのだろうと思います。

うーん、これを言われると、さすがに悩みます。

 

でも、まあ、いいや。(こう思う練習をしたいので。笑)

 

私は、相手に自分のことばが届かないと、その会話は意味がないと思うんです。

そういうビリーフ。

だから、相手に合わせて、話し方を変える。

もちろん地元のやんちゃな関西人と話すときは、無茶苦茶なうるさい関西弁を使います。

あれ、でもちょっと待って。私は何を指摘されたのだろう。

 

①声の明瞭さ

②言葉の選択におけるわかりやすさ

③文の末尾まで話すこと

④その他・・?

 

なにが相手を嫌な気分にさせたのだろうか。

日本語母語話者に対して話していても、気が強いタイプだね、と思われるだけなので、これは一向にかまわないのですが、(いずれ気が強いわけではないと気づいてもらえるので。)

同僚の非母語話者講師に、「きつい」と思われるのは、何が原因なのか・・・。

初級の学習者には、そう思われない。でも、上級の学習者にはそう思われるということか・・。

 

これは、解決しそうにないので、今の脳内のアウトプットだけにとどめておきます。

しょうがない。ゆっくり考えよう。とほほ