博論のテーマに右往左往
サワディーカー、ちぇるです。
私は、現在博士後期課程に在籍しながら、タイで働き、
そして、研究も地道にしている半分先生、半分学生なんですが。
博論のテーマにぶち当たっています。
来月、久しぶりに担当教官のもとを訪れて、
「研究相談」をするので、そこでまた結局ぶれていったりするんだろうなあとは思います。
でも、今の考えをまとめておこうと思います。
博論のテーマで悩んでいた時、所属する大学の他の専門の先生に、
「博論はできることをすべし。3年で書けることをすべし。
自分が本当にやりたいことは、そのあとながーーい時間をかけてすりゃあいい。」
というお言葉をもらいました。
たしかに。
また、その先生曰く、
「あなたの専門は何ですか?博論の研究テーマは?と聞かれて、
バチっと短い言葉で説明できないようなテーマ設定は、どうなんだろうか。
自分にとって、何か一つ、武器になるようなもの、武器として話せるようなことを、
したほうがいい。」そうです。
たしかに、私のこれまでの研究テーマは、
- 継承日本語教育研究のはしくれ
- 日本語学習の動機づけ
なんです。
1に関しては、”はしくれ”であるから、つまり、”ド専門”とは言いきれない、
逃げの姿勢なわけです。
継承語話者の日本語能力のなんちゃらかんちゃらではないし、
継承語話者のアイデンティティがなんちゃらかんちゃらでもないし、
してきたことは、継承日本語学習者の日本語学習の動機づけのようなものです。
だから、勉強してきたことは、第二言語習得の動機づけのほうだったり、
動機づけを解明するために、社会学のライフストーリー研究を援用したり、
なんかそんなようなことです。
だから、継承日本語教育研究が専門です!と言うのがこわいわけです。
そして、今回またタイに働きにやって来て、現在の職場では、
タイの学生の動機づけを量的研究でやっていく、初の試みに挑戦しています。
でもね、・・・たのしくないんです。
興味がないわけではないけど、知的好奇心はわくわくしない。
でもね、・・・私の専門は「タイ語母語話者の日本語学習の動機づけ」です。
って、非常にわかりやすくない?
むしろ私が今やっているのは、「動機の減退」のほうなんですが、
あんまり日本語教育では進んでいる研究ではないので、
・・・よくない?
しかも、質的研究をしてきた私は、量的研究はさっぱりわからなくて、
でもこのまま大学の世界で生きていこうと思うなら、
苦手分野は少ないほうが良いと思っていて。
読める論文が増えるほうがいいと思っていて。
だから、・・・量的研究も質的研究もやっていける研究者になりたいと思っていて。
学生でいられる最後の3年間の間に、苦手を克服したいなとも思っていて・・・。
さあ、私の博論はどこに向かうのでしょうか。
楽しみでもあり、恐ろしくもある。はっはっは